猫好きな犬の独りごと

 旅する犬   視線。  


 僕は戌(いぬ)年。楽しいコトがあるとワンワンとシッポ振ってついてっちゃいます。そんな僕にとって、気ままな猫の世界は憧れのマト。どうしたらあんな風に生きていけるのかしら…と日々思案しております。
 このページでは、ちょっとみなさんに日々の力を抜いて、イヌネコたちのゆるりな世界に浸っていただければうれしいです。
 といっても、彼らの世界もいつもラクちんではありません。そこのところもお伝えしてみようかな、と思います。


青春と犬ネコ

 20代のよく旅をしていたころ、旅先の土地では犬や猫によく相手をしてもらった。動物好きだった母の影響か、猫や犬がいるとつい近づいていってしまう。
 テントや野宿の一人旅は、寂しさを学ぶ旅でもあると思う。寂しさがつのると人は優しくなるものだ。そんなある夜に、この子はテントへやってきた。

ふたりでぬくぬく 

 自転車で沖縄本島をくるっと一周したときだったろうか。真夜中にやってきた。人も犬も一緒なんだなあ~と思いながら、寝袋でいっしょにすごした。

街犬のいた頃 

 そのころは街なかに犬や猫がたくさんいたような気がする。鎖はついていなかった。犬ものんびりしていたし、ひともまだのんびりしていた。今も人の少ない土地に行くと、トットットっと用をすませに行く犬猫の姿を見かける。それはうれしい光景だ。
 繋がれてしまうと、どうしても犬にとってはやることが限られてしまう。集団で猟をしていたころの活発なDNAはまだ犬たちの中にある。


生まれ育てば…

温泉街でまったり 

 これは神奈川県の箱根で会ったひと。温泉街のゆったりとした空気そのものの性格になっているみたい。道路の上だけど、どこか湯舟につかっているようにみえた。



海辺の幸せ 相棒ナミちゃん 海ネコの時間 

 沖縄の海辺で暮らす犬猫は、幸せだろうなあ~と思う。
 自由に走り回れる浜。おなかがすいたら海の幸食べ放題。暑くなったら水浴びし放題。でも北国の猫犬もこう言うだろう。雪原で遊び放題、山の幸食べ放題、寒くなったら…
 住めば都。彼らはきっと、いつも今に満足している。


降りられない… 

 高いハンノキの上にネコを見つけた。犬に追われて登ってしまったのかもしれない。下からゆっくり登っていき、抱いて下ろそうと甘い考えで近づいてしまった。
そのとたん、フンギャー!とひとこと、落っこちるように駆け下りて一目散に逃げていった。
 ごめんなさい。やればできるのねこ。それからは本人に任せるようにしています。


アパートの住人たち

箱入りユウちゃん ネコがネコであること 威厳 

 前に暮らしていた宜野湾市のアパートでは、たくさんのネコたちと友だちになった。隣人に醤油を借りにいく感じだったから、迷いネコがいると(入ってくると)、しばらく一緒に住んでいた。
 でも面白いもので、ある期間がすぎるといなくなるのだ。保健所さんにつれていかれたようすもない。きっとまた旅に出かけたのかな、と話し合った。

語りかける 

 そんなネコたちとお互い勝手にすごしていたのは、案外いい関係だったのかもしれない。こっちは「ゴハンをあげる」という意識はあまりない。余裕があるときだけ「一緒に食べる」。
 だから部屋に来ても、今日はなさそうだな、と見ると、「ミャー(行くよ)」と一声かけて去っていく。あれば上がってきて、一緒に食べ、食後は顔を洗い、一眠りして、また出て行く。なんともスマートな生きものなのだった。


黄昏ネコ時間 


シロボブの家系

「シロボブ」と勝手に呼んでいるネコがいた。彼はいつもどこかから血を流している。そうとうなファイターなはずだった。
 この写真は、カゼをひいていて鼻を垂らしているところ。ファイターにもそんな日はある。

シロボブ 

 ある日、すさまじい鳴き声の応酬に飛んでいってみると、まさに闘いの最中。どっしりと腰を落ち着けたシロボブに対し、相手はやや細身の若者で、すでにハッケヨイの段階から腰がひけてしまっている。

ハッケヨイ! 

 睨み合いは5分は続いたろうか、一気に火蓋が切って落とされ、あっというまに瞬殺。若者はシッポを巻いて逃げていった。
 シロボブは肩をいからせたまま、しばらくその場に。アドレナリンが落ち着くと、バッバッと頭をかいて、クシャミを一発。鼻は垂れても王者の貫禄であった。
 その後、シロボブもほかの猫の例に漏れず、いつのまにかいなくなり、かわりに彼にそっくりの白猫が登場した。
 遺伝子はしっかり受け継がれていたようで、通称「シロボブ2世」の時代もしばらく続いた。 

シロボブ2世 
シロボブ2世


風景の中の犬猫

ペル 毛深いガードマン


夜の街猫 

 旅先で出会う猫犬たち。その姿にひかれるのは、彼らが僕たち人間以上に、
土地と深く結びついて生きているからかもしれない。彼らの後をついて歩くと、いろんな道をよく知っていること!発見の連続だ。


おつとめと恋

粘るひと ふたりの背中 

 僕たちにも、猫にも犬にも、「子孫を残す」というお勤めがある。ただその合間には、恋をする時間も与えられているわけで、ありがたいことだと思う。
 猫たちの恋につきあうのは大変だ。だってしつこい!でも、おもしろい。朝から晩まで付きまとっているかと思うと、突然アタックをかけたりして、おんなのひともどう思っているのか、許したり、はねのけたり。複雑なネコ模様には興味が尽きない。

媚びない生き方 




生きているということ

生きている証 

谷川俊太郎さんの「生きる」という詩があった。



生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと


   ~後略~


 遊ぶネコや、走る犬たちをみていると、そこには「今」しかないような気がすることがある。そこではすべてが燃焼されている。そこではすべてが満ち足りている。
 僕たち人間はよく迷う。ひとりきりで迷う。でもちょっと横を見れば、ほら、とってもすてきな道しるべがある。ちょっとワガママで、かなり気ままな隣人たちの姿がある。

寒い日 




お店の名物 



月 日/つきひ

選ぶこと選ばれること 

 拝所に子猫が4匹捨てられていた。近所の中学生くらいの女の子たちが相手をしている。みんなミアミアと歩みもおぼつかない中にも、とりわけふらふらと揺れているような子猫がいた。
 目がくっついて開いていない。女の子たちもどうすればいいかわからない。
そのうち「おばあに聞いてくる」と走っていった。もう一人の子はスマホで一匹一匹の写真を撮っている。


 学生の頃、たくさんのネコや犬を埋葬した。そのころまだ車には乗っていなかった僕は、よく轢かれた彼らに行き当たった。まだ温かい体をいつも用意してあるバスタオルにくるみ、自転車の荷台に載せて、ひとのいないような空き地に連れて行った。
 半年ほどして行って見ると、沖縄はいのちの循環が早く、すでにお骨になっていることが多かった。
 この子猫はその後どうなったのだろう。女の子たちに託し、用事を優先させてその場を離れた自分に、あの頃から月日は遠くすぎたことを感じている。


雨の日の子猫  街の片隅で



片足のテンちゃん

片足のテンちゃん 

 海辺に近いお家で会ったテンちゃん。テンちゃんは明るい。片足がないことなんか全然気にしてないように思える。3本足でぴょんぴょん。今日という時間を精一杯、生きている。

           
テンちゃんとママ



仕事はしない 


生きる
谷川俊太郎


生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
 
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ

いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

お見送り 

追伸
北部やんばる地域にて、野生化した捨て猫などによるヤンバルクイナ等の絶滅危惧種動物の食害が深刻です。獣医師たちを中心に活動するNPO法人・どうぶつたちの病院 沖縄では、「どうぶつと人の関係や社会のあり方を見つめ直そう」と、猫の里親探しや各種活動を行なっています。自然も犬猫も愛する皆さま、ぜひ一度 【こちら】 のサイトをご覧ください。



真夜中の港





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